はじめに

人間は太古の昔からこの世界がどのようになっているかということに思いを馳せてきました。世界中で世界創造に関する数多くの神話が伝わっています。それは、大昔の人々の世界観のあらわれでもあります。 古代ギリシャにおいては、多くの哲学者によって、「万物が何から成るのか」が議論されました。その後、近代において自然科学が発達して、自然に対する理解が飛躍的に深まり、私たちの自然観、世界観は一変しました。現在では、物質はクォークやレプトンと呼ばれる要素から成ることが知られています。このようにして数千年の月日が流れましたが、いまだに私たちは自然に対してごくわずかのことしか分っていません。私たちは、自然の謎を解明すべく、万物の「最小の構成要素」素粒子を対象とし、物質の究極の姿とそこにはたらく力について研究しています。


CP非保存

物理学において自然現象の理解を深めるために対称性と、それに伴う保存則は非常に重要です。その中でも、特にC変換(粒子と反粒子とを反転させる変換)に対する対称性、P変換(空間反転変換)に対する対称性、T変換(時間反転変換) に対する対称性 がよく知られています。 自然界の基本的な4つの相互作用、強い力、電磁相互作用、重力、弱い相互作用のうち、弱い相互作用に対しては、様々な対称性が破れています。たとえば、P変換に対して、弱い相互作用は、完全にその対称性が破れていますし、C変換に対してもその対称性は完全に破れています。ただし、弱い相互作用に対しても、CとPの両者の変換を施すと、その対称性は、ほぼ満たされています。 しかし、これも1964年、K中間子と呼ばれる粒子の崩壊においてCP対称性が破れていることが発見されました。それ以来、CP非保存は、素粒子物理学の世界で、最も興味深い研究対象の1つとなり、幾多の実験を経てきました。そして、現在、今まで謎であったCP非保存の起源について、少しずつ解き明かされつつあります。


KTeV実験

このCPの破れの起源を探るために、私たちは、アメリカ合衆国フェルミ国立研究所において、KTeV実験(Kaons at the TeVatron「テバトロン加速器におけるK中間子実験」) と呼ばれる実験を行ないました。 このKTeV実験グループは、日米の国際共同実験であり、2ヶ国、約80人の研究者と12の研究機関で構成されています。日本からは、私たち大阪大学のグループが参加しています。

中性K中間子系の研究は長い間なされてきましたが、それはいまだに鋭い核心をつく研究によって、新しい発見をする余地が大いに残されています。 私たちの実験では、中性K中間子が2個のパイ中間子と呼ばれる粒子に壊れる分岐比の精密測定を行なうことによって、CP非保存のパラメータRe(ε'/ε)を10-4の精度で求めたり、崩壊、崩壊、崩壊のような長寿命中性K中間子(KL)の稀な崩壊を探索することでCP非保存の起源に迫ろうとしています。 その両方の測定をするためには、非常に多数の中性K中間子が必要となります。これらは、フェルミ国立研究所の世界最高エネルギーの加速器テバトロンで生成されます。そのとき、高速でしかも精密な位置やエネルギーの測定が崩壊の際に生じる荷電粒子、中性粒子のどちらに対しても必要となります。 KTeV実験の実験装置はそれゆえ、最新の検出器が並べられ、崩壊時に生じる粒子の種類を決めています。 測定器からのデータは強力な34プロセッサーオンラインコンピュータシステム上で走っているプログラムによって収集され、磁気テープに記録されています。

データ収集は1996-1997年、および1999-2000年に行なわれ、既に終了しました。 私たちは、この間に精度の良い解析をし、すでに以前には発見されなかった新しい崩壊過程を2つ観測しました。 さらに、データを解析し、多くの新しい結果が得られることで、CP非保存やその他の現象に対する理解が深まることが期待されます。

この実験の結果、長寿命中性K中間子の崩壊過程において、「直接的CPの破れ」という現象が生じていることを高い精度で確定しました。これは、CPの破れの起源が 「弱い相互作用」に由来するという標準理論を支持するもので、これにより「超弱力」という新しい力に由来するという説は否定されます。さらに、KLの稀崩壊の崩壊分岐比の上限を1-2桁改善しました。また、メイン・インジェクターと呼ばれる新しい入射加速器による、将来の探索実験に対する測定器の性能の確認をしました。


KAMI実験

われわれの挑戦はここに止まりません。 現在、K中間子の稀崩壊においてもっとも注目されている崩壊過程の1つに、崩壊があります。標準理論において、この崩壊過程の分岐比を測定することにより、基本的なCP非保存パラメータを決定することができます。この崩壊を探索し、分岐比を測定する実験として、フェルミ国立研究所において、KAMI実験(Kaons At the Main Injector「メイン・インジェクター加速器におけるK中間子実験」)が計画されています。

目的とする崩壊の分岐比は、~3×10-11と非常に小さいため、非常に多くのK中間子の崩壊数、ひいては大強度の陽子ビームを必要とします。KAMI実験では、陽子ビーム のエネルギーを、以前のKTeV実験で用いた800 GeVから、120 GeVに落とすことで、陽子ビームの加速時間を短縮しています。これにより、 2.9秒間隔で最大 3.0×1013個の陽子を1秒間標的に入射させ、単位時間当たりのK中間子生成数を増やすことができるので、 事象に対する感度を増すことができます。

この崩壊では、最終的に生じる2つの光子を観測します。このときに、大きな障害となるのは、崩壊が生じたときに、この崩壊で生じる4つの光子のうち、2つを見失ったときに目的の崩壊と見間違えることです。このような偽事象を排除するために、K中間子の崩壊領域を光子検出器で覆って崩壊からの余分な光子を検出します。一般に、光子検出器に対する不感率は、その入射エネルギー が大きいほど、小さくなります。 KAMI実験では、現在計画されている、他の崩壊探索実験より、生成されるK中間子のエネルギーが高く、そのため、K中間子崩壊で生じる光子の エネルギーEγも大きくなるので、崩壊のような偽事象を 抑えるのに有利になります。

KAMI実験グループは2001年4月にproposalを提出して実験の概要を示し、 KAMI実験により、事象を 約100事象観測しようとしています。現在、実験開始に向けて準備を進めています。

KAMI実験は、今はまだその端緒についたばかりであり、自然に対する理解という点から見れば、私たちは自然という大海原においてその砂浜で遊ぶ子供のようなものです。私たちは、この海の向こう側を夢見て、さらなる自然の謎に挑み続けています。

文責 松本 充弘